新しんくれちずむ

日本の民俗・オカルト・信仰と現代社会の狭間から。

こんまり・アニミズム・死と喪失

 

少し前、こんまりさんこと近藤麻理恵氏のNetflixの番組が話題になった。

さっそく観たが、興味深かったのは彼女のアニミズム的行動だ。正座して家に挨拶したり、処分する物に感謝を伝えたり。彼女の振る舞いは、私のSNS上では「新興宗教っぽい」「宜保愛子を彷彿させる」「スピリチュアル系」などと言われていた。

確かに違和感はあるが、こんまりさん当人はもちろん、番組制作側も演出としてやっているのだから、依頼人と視聴者にアニミズムを強く意識させる"儀式"を行う意味があるはずだ。

 

モノに"魂"や"意思"があると考えたり、持ち主や贈り主の"思念"が籠っていると感じるのは「成人のアニミズム」と呼ばれ、特定の信仰を超えて多くの文化圏に見られる思考方法だ。対して「幼児のアニミズム」は、無生物と生物の区別がつかない未発達の思考を指す。

日本では「八百万神(やおよろずのかみ)」や「付喪神九十九神(つくもがみ)」、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」など、神道・仏教の宗教観が文化的背景となってアニミズムを社会に根付かせてきた。

「こんまりのアニミズムは独特だ、日本人の感覚を代表するものではない」という意見もあるが、私の知人女性は「モノを捨てるときは必ずお礼を言ってから捨てるように」と御母堂から教えられたという。世代や地域差によるが、思うほど珍しくない慣習かもしれない。

日本のアニミズムの最たる例として「モノ供養」がある。無生物のために祈る姿は異文化圏では奇異に映るらしく、数年前に行われたロボット犬AIBOの葬式は海外で話題になった。人形や筆・針・箒・傘・靴など様々なモノの供養や慰霊祭・感謝祭は今日も盛んに行われている。

モノを粗末にすることへの罪悪感、バチが当たるのではないか・祟られるのではないかという恐れ、そして馴染みのモノへの愛着と喪失感が、モノ供養の主たる動機だ。

モノを処分することでストレス=心的外傷を負い、後々まで気に病むこともある。モノの処分は"自発的喪失"であり、本来、自然災害や事故による偶発的かつ受動的な喪失とは区分されるのだが、それでもあっけない処分は心に傷を残すのだ。

人間にとって最も大きな喪失・心的外傷である家族や仲間の死への対症が、葬送儀礼や供養という宗教行為ならば、自発的喪失にもそれは有効なのだろう。

よく「葬式は遺された者のための儀式」と言われる。東日本大震災遺族への調査から、家族の死そのもののショックに加え、震災当時に満足な弔いを行えなかったことが心的外傷になっているという研究結果がある。供養は死者を悼むセレモニーであると同時に、生きる者が気持ちに区切りをつけるためのセラピーでもある。

もう一つ、喪失を乗り越える有効な手段が「喪失の意味づけ」だ。

死者が物言わぬのをいいことに、生者は「尊い犠牲」「平和の礎」「天罰」「あの人の分も生きよう」「あの人はこれを望んでいない」と好き勝手に死を意味づけし、自分が生きていることの肯定にすり替える。生き残ってしまったことへの罪悪感、"サバイバーズ・ギルト"から逃れるための防衛機制だ。「意味づけ」は罪悪感を「この世は犠牲なしに成り立たない、多少の犠牲は仕方ない」という"犠牲のシステム思考"に組み込んで打ち消し、喪失の痛みを通過儀礼に置き換えることができる。

突然こんまりさんの話に戻る。

彼女の「処分するモノに感謝を伝える」行為は、一種の供養と捉えることができる。モノを供養する発想がない文化圏では、寄付という形で処分の罪悪感を軽くしようと試みるが、それにこんまり式供養を併せれば、処分の心理的ハードルは一気に下るだろう。

家への挨拶も重要だ。"家という存在"の再発見は、部屋を綺麗にする義務感を生じさせる。綺麗になった家を想像することで目標が定まり、モノの処分が「非情な行為」から「家を綺麗にするために必要な犠牲」へと変わる。文化圏によっては「処分は辛いが、これを乗り越えれば自分を成長させられる」というキリスト教的「試練」という捉え方もできそうだ。

先にも書いた通り、一神教の文化圏にも感覚としてアニミズムは存在する。しかし、信仰上、文化の表層には現れず、自分の中のそれを自覚することが少ないため、「モノに思い入れる」自分の感情の処理が上手くできないのだと考えられる。

こんまりメソッドがアメリカで大きな反響を呼んだ理由の一つは、「モノに感謝を伝える」という形で、「自身に内在するアニミズム的思考を表出させ、且つ、それを割り切る方法を教えたから」と言えるのではないか。

あえて過剰にスピリチュアル的演出をすることで、ただの掃除ではないと思わせるのも一つのテクニックだ。こんまりさんの「アジア人女性」という属性も、彼女の言葉と行為に説得力を持たせ、有利に働いているように感じる。欧米で重視されるメンタルトレーニング・セラピー・カウンセリングといったセルフケアでは、オリエンタルな哲学や思想のエッセンスが殊のほか好まれる。禅やヨガと同じような感覚で、こんまりメソッドも受容されたのではないだろうか。一重にこんまりさんと番組制作者の心理学的テクニックとブランディングが優れている。

ただ、日本人は日常的にアニミズムを自覚する分、強調されたアニミズム演出と自身のアニミズム的思考との差に違和感を覚え、胡散臭さを感じる。欧米の人は全く初めて触れる異文化・思想として素直に捉えられる。こういったアニミズムへの感度の違いが、日本と欧米でのこんまりメソッド受容に差をもたらしているようだ。

今後、イスラム圏やアジア・アフリカ諸国までこんまりさんの活躍の場が広がるのか、注目している。