新しんくれちずむ

日本の民俗・オカルト・信仰と現代社会の狭間から。

井戸と金の話

最近、埋められる井戸が増えているという。

農家が税金対策のために平屋を小さく建て直し、広い庭を分譲して売ったり貸したり駐車場にしたり、それに伴って井戸を埋めることが増えている。とは、ある顔なじみの解体業者さんの話だ。

井戸といっても貞子が出て来られるような大きいものではなく、パイプを地面に突き立てて水を汲み上げる、昭和の一軒家でよく作られたものだ。「災害時の断水の備えとして残しておいた方がいいんですけどね」と、その人は残念がる。

井戸を埋めるには作法がある。私は地元の老人から、清らかな川砂か山砂で穴を埋め、そこに節を通した竹筒を挿すものだと聞いた。「息継ぎ竹」といって、井戸の神様が出ていけるように空気穴を空けるのだという。

実際のところ、井戸というのは地下水脈に穿った穴のようなもので、泥で埋めると下流の井戸が濁ることがある。また、下に空気が溜まったまま埋めると、時間が経ってから井戸跡が陥没することがある。これを防ぐために水を通しやすい川砂で埋め、竹筒や細いパイプで空気抜きをする。経験則に基づく理にかなった方法が、信仰と結びついて行われるようになった例として記憶している。

井戸埋めはお祓いや供養など宗教行為を伴う場合もある。この時、最もいけないのは井戸の中に供物の塩や酒を投げ入れることだ。当然、地下水脈を汚すからである。

また、井戸にはタブーがあり、井戸の中に金気のあるもの、金属類や刃物を落としてはいけないと言われている。ただ「良くない」とだけ言われているものや、水神の祟りがあるとか、眼を悪くするという具体的な話もある。

数年前、名水として有名な山梨の忍野八海で、中国人観光客が泉の中に硬貨を投げ込むことが問題になっていた。中国では水源に賽銭を投げ入れるのは縁起の良いこととされている。五行思想では「金生水」、金から水が生じるとして金属と水の相性はよい。

日本でも鏡や"懸仏(かけぼとけ)"が山奥にある池沼の底から発見された例がある。

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懸仏は、神体である鏡に仏像を取り付けたり梵字を描いて神仏習合を表した祭器で、"御正体(みしょうたい)"とも呼ばれる。池で見つかる鏡や懸仏は水源の神への供物と考えられ、そこに金属を水に投じるタブーはなさそうだ。

道教(あるいはその影響を受けた陰陽道)・神道・仏教の信仰と、井戸と金気のタブーという民間信仰との繋がりは見えにくい。

一般に井戸の神とされるのは"水波能売神(みづはのめのかみ"だが、"闇龗神(くらおかみのかみ)"が祀られることもある。水波能売(みづはのめ)は女神で、龗・淤加美(おかみ)は龍や大蛇の類と言われる。

萬葉集 巻二 百四 に、

わが岡の"おかみ"に言ひて落(ふ)らしめし

雪のくだけし其処に散りけむ

-藤原夫人

とあり、龗は雪を降らせたり気象を司る龍蛇神として信仰されてきた。高龗(たかおかみ)という神もあり、高龗は高い山から流れてくる川、闇龗は谷間や地下を流れる川を神格化したものと言われる。

川の流れを"蛇行"と言うように、その形に蛇や龍の姿を重ねるのは分かりやすい。目に見えない地下水をも山から続く一つの水脈と理解して、そこから地下に潜む龍蛇神=闇龗を連想したのだろうか。

日本の文学上、大蛇と鋭利な金属の相性は悪い。

十握剣で滅ぼされた八岐大蛇(やまたのおろち)に始まり、"蛇婿入り"と呼ばれる神話・民話の類型に於いては、"鉄の針"が蛇を苦しめる最強の武器となり、最悪の場合は死に至らしめる。

蛇婿入り(ヘビムコイリ)とは - コトバンク

地下水脈自体を蛇神の神体とするならば、井戸に金属、特に刃物を落とす行為は(甚だ理不尽ながら)攻撃と捉えられることもあるだろう。

その祟りで眼病になると言うのは、"井戸=水神が地上を覗くための目"と考えて、同害報復を恐れたためだろうか。

或いは、単純に綺麗な水で目を洗うと眼病が治ることから、水神は目の病気に霊験があると思われていたか。

どちらにせよ、下記のような呪いまで生まれるほどに、その祟りは絶大だったようだ。

こんぶ【昆布】 に 針(はり)刺(さ)す
誓いを立てるときや、人をのろうときなどに、その印としてこんぶに針を刺す。呪うときには、それを井戸に沈めたり、また、こんぶで人形を作って木に釘でうちつけたりする。

-精選版 日本国語大辞典-

最後の一文は丑の刻参りに酷似しているが、丑の刻参りの本場は京都の貴船神社であり、貴船神社の祭神は高龗神(たかおかみのかみ)だ。不思議な縁もある。

往時は多くの家が恩恵に与っていた井戸。税金対策で埋められてしまうとは、つくづく"金"との相性が悪いと見える。