新しんくれちずむ

日本の民俗・オカルト・信仰と現代社会の狭間から。

新しい神話の時代

 

日本の神話というと、「古事記」「日本書紀」のいわゆる記紀神話が有名だ。

それに、記紀と筋を同じくし忌部氏の祖先伝承を強調する「古語拾遺」、地方の伝説を伝える「(古)風土記」を加えた4つが、凡そ9世紀までに成立した「古代神話」と呼べるものだろう。

だが、いずれも「神話」として作出された物語ではなく、過去における事実・歴史を伝えるものとして成立し、古代世界では受容されていた。

ところが、古代氏族の影響力が著しく低下していく平安後期以降、氏族の祖先伝承の集成ともいえるこれらの物語は"歴史"としての意義を失っていく。神代に父祖が果たした役割と、現実の朝廷における役職がリンクする時代が終わったのだ。

これとは逆に、記紀を活用するようになるのが仏教勢力である。彼らは仏典と同じように日本の神々の物語を「聖典」として扱い、換骨奪胎し、仏教的理論を加えながら時代に即した形に改変していく。

寺社縁起や物語の中では「日本紀に曰く」と日本書紀の記述を引用する形をとりながら、実際には存在しない物語を創作することもあった。今日でいえば捏造の類になるこの行為も、中世の宗教世界においてはクリエイティブな活動として認識されていた。こうして新たに作られたこれらの物語や注釈などのテクスト群を総称し、「中世神話」という。

「中世神話」は体系を持たず、相互に整合性もなく、文中の注釈のような短い文章であったり、縁起のような長文であったり、雑多なテクスト群だ。"中世に創出された新たな神話"という部分は共通するが、研究者によってその定義すら曖昧である。しかし同時に中世の豊かな精神世界を物語る資料でもある。

中世当時の文化人は、「中世神話」に触れながら文学や芸能を作り上げていった。中世に誕生した物語や能などを理解する上で、「中世神話」への素養は欠かせない。

古代から中世へ移ろう一つの画期となった源氏と平家の合戦は「平家物語」に詳しいが、これも中世の文学であり、中世神話を含んでいる。

壇ノ浦の合戦のクライマックス、数え八歳の安徳帝三種の神器と共に入水する。この時、二位尼が言った「浪の下にも都の候ぞ」という言葉はあまりにも有名だが、この都とは浦島太郎で有名な龍宮のことだ。

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政争に巻き込まれた幼い帝の自死という悲劇であるが、平家物語はただの悲劇では終わらない。なぜこのようなことが起きたのか、その因果を語っている。

人皇八十代の天皇として即位し、八つの歳に亡くなった安徳帝は、実は八頭八尾の八岐大蛇の化身である。かつて素戔嗚尊に奪われた天叢雲剣を取り返すべく安徳帝として化生したが、真剣は熱田神宮に納められているため手が出せず、代わりに宮中の写し剣を受けて龍宮に帰っていったのだ。その証拠に、共に沈んだ三種の神器のうち、八咫鏡と八尺瓊玉は箱が水に浮き宮中に戻った、という。

仏教思想に基づく因果応報譚であるが、古代神話の"因"が現在に"果"として顕現する構成は文学としても面白い。この、時間や空間を横断し、古代神話と現在との乖離を埋めるところに「中世神話」の真価がある。

また一方では、天皇を死に追いやり草薙剣を失った源氏の失態を誤魔化す政治的な事情によって創作された面もあったのかもしれない。とすれば、責任を転嫁された八岐大蛇はお気の毒だ。

そもそも安徳天皇が八岐大蛇なら、二位尼に「波の下にも都はありますよ」と言われてどんな気分だったのだろうか。今まさにその龍王の宮たる我が家へ帰ろうというのに…。せめて尼御前が(うまいこと言った)とドヤ顔していなかったことを祈る。

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空き寺を埋めるモノ

 

年度が変われば物書きする時間も出来ると思っていたが、ままならないのが人生である。久々の更新です。

 

私事ですが、先月に地元の市史編纂委員と文化財保護委員を嘱託され、不安定な身に多少の箔がつき、今後の人生の展望も少しは開けたというところです。

各分野の専門家7名からなる文化財保護委員会で「郷土史家」の席に就いたことは些か不本意でもあり、かと言って他の「民俗学者」や「美術史家」「建築史家」といった専門職に知識で劣るのは否めず、一層研鑽に励もうかな、といった感じだ。

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さて、近年、檀家や後継者不足で廃寺になる寺が少なくない。後継者がいない場合であれば同宗派の兼帯寺になることも出来るのだろうが、檀家の減少は経営に直結する、まさに死活問題だろう。

考えれば、葬式や年忌供養、墓地経営を主な収入として住職一家を養っている現在の体制から脱却することが必要なのだが、近世の寺檀制度を通じて葬式仏教と化してしまった諸宗には無理な話だろうか。となれば不採算寺院の廃絶は当然の帰結とも言える。

 そもそも、先祖代々寺を守る僧侶の家系などというものはそれほど古くない。江戸時代、浄土真宗を除く出家者は妻帯禁止で子どももいなかったはずだ。当時の師から弟子という血縁によらない寺の相続は今よりもはるかに不安定で、当然のように無住すなわち住職がいない状態が生まれた。それが長く続けば廃絶する寺院もある。その隙間を埋めたのが漂泊する宗教者、特に修験者や行者だ。

いわゆる修験道というのは密教系の一派とされがちだが、深山に分け入って神仏と交信し、その神秘を感得して験力を得るという、仏教の枠にとらわれず、日本在来の神祇信仰や中国の神仙思想を取り込んだ混淆信仰だ。

彼らは山の峰々を伝って移動し、立ち寄った村落でその験力を使った加持祈祷を行い民衆を救う存在だった。山に住み薬草等の知識に長けていたため薬師の役割も果たした等、現実的な効用もあったとされる。

修験者は山々を移動する際の拠点として修行場や山間の社寺を利用したと考えられる。そこにしばらく逗留する場合、無住の社寺では仏事や祭祀を代行した。こういった空白期間を埋める漂泊の宗教者の存在が中近世の神社・寺院を下支えしていたことを、家系や血統に捉われがちな現代の伝統宗教界は見直さなければならないだろう。

修験者の動向は、都市部とは異なる地方部落に於ける宗教者の活動として注目されるところだが、文献や金石文等の資料だけで彼らの活動を追うことは難しい。かといって、最盛期には仏僧と同数存在したと言われる修験者が、日本文化の中にその痕跡を残さないというのも奇妙だ。

となると頼りになるのは昔話や伝承など口承の類で、実際に修験者が法力を使う話などが昔話や説話に残されている。各地に伝わる役行者弘法大師の伝説と修験者の活動の関係も想起されるところだ。

また、山で出会う怪異にも修験者の影響は強い。特に天狗の衣装などはまるきり修験者のそれである。異形かつ異能、山という身近にある異世界を自由に横断する修験者は、農民にとって妖や怪と紙一重だったのだろう。

 

ところで、昔話には住職のいない空き寺に住み着く妖怪の話がいくつかある。彼らの正体は大抵タヌキやキツネなのだが、その寺を根城として悪さを働くパターンと、僧侶に化けて住職として勤仕するというパターンがある。前者も後者も最後には正体を見破られ、武士や本物の僧侶に成敗されたり犬に食われて死ぬという哀れな話もある。真面目にお勤めをしてきた後者にとってこれは不条理である。

証明する手立てもないが、これらの話に登場するキツネやタヌキは素性の知れぬ漂泊の宗教者であったように思えてならない。特に修験者だが、先に述べたように彼らの信仰には独自のものがあり、仏教諸宗から見れば異端とも取れる部分を含む。

ある空き寺へ"正しい"仏僧がやってきて"正式な"住職になった。そこで、これまで修験者が寺で行なってきた仏事は"間違っている"と否定した。村人たちは修験者へ謝礼を渡していたので騙されていたと感じ、「あれは坊主のフリをしたニセモノだ」と言い、「妖が住職に化けていた」という話が生まれた。という仮説が立てられようか。

「キツネやタヌキが真面目にお勤めしていたとしても、所詮は畜生の身。正規の修行を経ていない以上、功徳はないし、まして報酬を得る資格はない。罰を受けろ。」という農民の感覚が、哀れな結末の物語を生んだのかもしれない。天台宗などの解釈では、畜生も悟りを開き成仏する可能性=仏性を持つとしているので、仏教説話系の昔話とは一線を画すようだ。

哀れにも亡くなったキツネやタヌキは、後に神社の祭神として祀られることが多い。僧侶の真似事をした動物が神になるというのは、当時の神仏習合観を知る上でも面白い事例だ。

しかしまあ、現代の僧侶の中には昔話の悪いキツネやタヌキにも劣るような俗物がいるが、仏の教えを最もよく知る身でありながら、それに背き続けた彼らの末期がどうなるものか、非常なる興味を持って眺めてしまう。

 

 

こんまり・アニミズム・死と喪失

 

少し前、こんまりさんこと近藤麻理恵氏のNetflixの番組が話題になった。

さっそく観たが、興味深かったのは彼女のアニミズム的行動だ。正座して家に挨拶したり、処分する物に感謝を伝えたり。彼女の振る舞いは、私のSNS上では「新興宗教っぽい」「宜保愛子を彷彿させる」「スピリチュアル系」などと言われていた。

確かに違和感はあるが、こんまりさん当人はもちろん、番組制作側も演出としてやっているのだから、依頼人と視聴者にアニミズムを強く意識させる"儀式"を行う意味があるはずだ。

 

モノに"魂"や"意思"があると考えたり、持ち主や贈り主の"思念"が籠っていると感じるのは「成人のアニミズム」と呼ばれ、特定の信仰を超えて多くの文化圏に見られる思考方法だ。対して「幼児のアニミズム」は、無生物と生物の区別がつかない未発達の思考を指す。

日本では「八百万神(やおよろずのかみ)」や「付喪神九十九神(つくもがみ)」、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」など、神道・仏教の宗教観が文化的背景となってアニミズムを社会に根付かせてきた。

「こんまりのアニミズムは独特だ、日本人の感覚を代表するものではない」という意見もあるが、私の知人女性は「モノを捨てるときは必ずお礼を言ってから捨てるように」と御母堂から教えられたという。世代や地域差によるが、思うほど珍しくない慣習かもしれない。

日本のアニミズムの最たる例として「モノ供養」がある。無生物のために祈る姿は異文化圏では奇異に映るらしく、数年前に行われたロボット犬AIBOの葬式は海外で話題になった。人形や筆・針・箒・傘・靴など様々なモノの供養や慰霊祭・感謝祭は今日も盛んに行われている。

モノを粗末にすることへの罪悪感、バチが当たるのではないか・祟られるのではないかという恐れ、そして馴染みのモノへの愛着と喪失感が、モノ供養の主たる動機だ。

モノを処分することでストレス=心的外傷を負い、後々まで気に病むこともある。モノの処分は"自発的喪失"であり、本来、自然災害や事故による偶発的かつ受動的な喪失とは区分されるのだが、それでもあっけない処分は心に傷を残すのだ。

人間にとって最も大きな喪失・心的外傷である家族や仲間の死への対症が、葬送儀礼や供養という宗教行為ならば、自発的喪失にもそれは有効なのだろう。

よく「葬式は遺された者のための儀式」と言われる。東日本大震災遺族への調査から、家族の死そのもののショックに加え、震災当時に満足な弔いを行えなかったことが心的外傷になっているという研究結果がある。供養は死者を悼むセレモニーであると同時に、生きる者が気持ちに区切りをつけるためのセラピーでもある。

もう一つ、喪失を乗り越える有効な手段が「喪失の意味づけ」だ。

死者が物言わぬのをいいことに、生者は「尊い犠牲」「平和の礎」「天罰」「あの人の分も生きよう」「あの人はこれを望んでいない」と好き勝手に死を意味づけし、自分が生きていることの肯定にすり替える。生き残ってしまったことへの罪悪感、"サバイバーズ・ギルト"から逃れるための防衛機制だ。「意味づけ」は罪悪感を「この世は犠牲なしに成り立たない、多少の犠牲は仕方ない」という"犠牲のシステム思考"に組み込んで打ち消し、喪失の痛みを通過儀礼に置き換えることができる。

突然こんまりさんの話に戻る。

彼女の「処分するモノに感謝を伝える」行為は、一種の供養と捉えることができる。モノを供養する発想がない文化圏では、寄付という形で処分の罪悪感を軽くしようと試みるが、それにこんまり式供養を併せれば、処分の心理的ハードルは一気に下るだろう。

家への挨拶も重要だ。"家という存在"の再発見は、部屋を綺麗にする義務感を生じさせる。綺麗になった家を想像することで目標が定まり、モノの処分が「非情な行為」から「家を綺麗にするために必要な犠牲」へと変わる。文化圏によっては「処分は辛いが、これを乗り越えれば自分を成長させられる」というキリスト教的「試練」という捉え方もできそうだ。

先にも書いた通り、一神教の文化圏にも感覚としてアニミズムは存在する。しかし、信仰上、文化の表層には現れず、自分の中のそれを自覚することが少ないため、「モノに思い入れる」自分の感情の処理が上手くできないのだと考えられる。

こんまりメソッドがアメリカで大きな反響を呼んだ理由の一つは、「モノに感謝を伝える」という形で、「自身に内在するアニミズム的思考を表出させ、且つ、それを割り切る方法を教えたから」と言えるのではないか。

あえて過剰にスピリチュアル的演出をすることで、ただの掃除ではないと思わせるのも一つのテクニックだ。こんまりさんの「アジア人女性」という属性も、彼女の言葉と行為に説得力を持たせ、有利に働いているように感じる。欧米で重視されるメンタルトレーニング・セラピー・カウンセリングといったセルフケアでは、オリエンタルな哲学や思想のエッセンスが殊のほか好まれる。禅やヨガと同じような感覚で、こんまりメソッドも受容されたのではないだろうか。一重にこんまりさんと番組制作者の心理学的テクニックとブランディングが優れている。

ただ、日本人は日常的にアニミズムを自覚する分、強調されたアニミズム演出と自身のアニミズム的思考との差に違和感を覚え、胡散臭さを感じる。欧米の人は全く初めて触れる異文化・思想として素直に捉えられる。こういったアニミズムへの感度の違いが、日本と欧米でのこんまりメソッド受容に差をもたらしているようだ。

今後、イスラム圏やアジア・アフリカ諸国までこんまりさんの活躍の場が広がるのか、注目している。

 

井戸と金の話

最近、埋められる井戸が増えているという。

農家が税金対策のために平屋を小さく建て直し、広い庭を分譲して売ったり貸したり駐車場にしたり、それに伴って井戸を埋めることが増えている。とは、ある顔なじみの解体業者さんの話だ。

井戸といっても貞子が出て来られるような大きいものではなく、パイプを地面に突き立てて水を汲み上げる、昭和の一軒家でよく作られたものだ。「災害時の断水の備えとして残しておいた方がいいんですけどね」と、その人は残念がる。

井戸を埋めるには作法がある。私は地元の老人から、清らかな川砂か山砂で穴を埋め、そこに節を通した竹筒を挿すものだと聞いた。「息継ぎ竹」といって、井戸の神様が出ていけるように空気穴を空けるのだという。

実際のところ、井戸というのは地下水脈に穿った穴のようなもので、泥で埋めると下流の井戸が濁ることがある。また、下に空気が溜まったまま埋めると、時間が経ってから井戸跡が陥没することがある。これを防ぐために水を通しやすい川砂で埋め、竹筒や細いパイプで空気抜きをする。経験則に基づく理にかなった方法が、信仰と結びついて行われるようになった例として記憶している。

井戸埋めはお祓いや供養など宗教行為を伴う場合もある。この時、最もいけないのは井戸の中に供物の塩や酒を投げ入れることだ。当然、地下水脈を汚すからである。

また、井戸にはタブーがあり、井戸の中に金気のあるもの、金属類や刃物を落としてはいけないと言われている。ただ「良くない」とだけ言われているものや、水神の祟りがあるとか、眼を悪くするという具体的な話もある。

数年前、名水として有名な山梨の忍野八海で、中国人観光客が泉の中に硬貨を投げ込むことが問題になっていた。中国では水源に賽銭を投げ入れるのは縁起の良いこととされている。五行思想では「金生水」、金から水が生じるとして金属と水の相性はよい。

日本でも鏡や"懸仏(かけぼとけ)"が山奥にある池沼の底から発見された例がある。

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懸仏は、神体である鏡に仏像を取り付けたり梵字を描いて神仏習合を表した祭器で、"御正体(みしょうたい)"とも呼ばれる。池で見つかる鏡や懸仏は水源の神への供物と考えられ、そこに金属を水に投じるタブーはなさそうだ。

道教(あるいはその影響を受けた陰陽道)・神道・仏教の信仰と、井戸と金気のタブーという民間信仰との繋がりは見えにくい。

一般に井戸の神とされるのは"水波能売神(みづはのめのかみ"だが、"闇龗神(くらおかみのかみ)"が祀られることもある。水波能売(みづはのめ)は女神で、龗・淤加美(おかみ)は龍や大蛇の類と言われる。

萬葉集 巻二 百四 に、

わが岡の"おかみ"に言ひて落(ふ)らしめし

雪のくだけし其処に散りけむ

-藤原夫人

とあり、龗は雪を降らせたり気象を司る龍蛇神として信仰されてきた。高龗(たかおかみ)という神もあり、高龗は高い山から流れてくる川、闇龗は谷間や地下を流れる川を神格化したものと言われる。

川の流れを"蛇行"と言うように、その形に蛇や龍の姿を重ねるのは分かりやすい。目に見えない地下水をも山から続く一つの水脈と理解して、そこから地下に潜む龍蛇神=闇龗を連想したのだろうか。

日本の文学上、大蛇と鋭利な金属の相性は悪い。

十握剣で滅ぼされた八岐大蛇(やまたのおろち)に始まり、"蛇婿入り"と呼ばれる神話・民話の類型に於いては、"鉄の針"が蛇を苦しめる最強の武器となり、最悪の場合は死に至らしめる。

蛇婿入り(ヘビムコイリ)とは - コトバンク

地下水脈自体を蛇神の神体とするならば、井戸に金属、特に刃物を落とす行為は(甚だ理不尽ながら)攻撃と捉えられることもあるだろう。

その祟りで眼病になると言うのは、"井戸=水神が地上を覗くための目"と考えて、同害報復を恐れたためだろうか。

或いは、単純に綺麗な水で目を洗うと眼病が治ることから、水神は目の病気に霊験があると思われていたか。

どちらにせよ、下記のような呪いまで生まれるほどに、その祟りは絶大だったようだ。

こんぶ【昆布】 に 針(はり)刺(さ)す
誓いを立てるときや、人をのろうときなどに、その印としてこんぶに針を刺す。呪うときには、それを井戸に沈めたり、また、こんぶで人形を作って木に釘でうちつけたりする。

-精選版 日本国語大辞典-

最後の一文は丑の刻参りに酷似しているが、丑の刻参りの本場は京都の貴船神社であり、貴船神社の祭神は高龗神(たかおかみのかみ)だ。不思議な縁もある。

往時は多くの家が恩恵に与っていた井戸。税金対策で埋められてしまうとは、つくづく"金"との相性が悪いと見える。

 

「7.5」の神性

世界中に吉とされる数字がある。日本の代表的なラッキーナンバーは8だ。

今日、「八の形が"末広がり"で縁起が良いから」と説明されているが、8の特別扱いは古事記の時代から見られる。「八咫烏」や「八咫鏡」、「八尺瓊勾玉」、「八雲」、「八重垣」、「八岐大蛇」、「八千矛神」、「八神殿」など、特に神に関わるものに多い。

また、現在使われる言葉の中にも「八乙女」、「八十続」、「八百屋」、「八千代」、「八百万の神」のように、八を冠して漠然とした数の多さを表すものがある。

8は"無限ではないがとても大きい、神の世界の数"として聖数の信仰を受けていたようだ。

ところが、日本各地の古い信仰儀礼を調べると、8にやや足りない"7.5"という数が散見されることに気がついた。

特に顕著な例が二つある。一つが「七十五膳」だ。

「七十五膳」は主に本州・四国に見られる古い儀礼で、「七十五膳据神事」や「七十五膳献上の儀」等、呼び方や形態は様々だ。共通するのは、"75の食物を神に捧げること"である。

文字通り「75台の御膳」を供する例もあれば、「75種類の食べ物」、「75個の盛り飯」、珍しいものには「75頭の鹿と猪の首」を供える例もある。

更に面白いことに、なぜ"75"に拘るのか、どこにも正確に伝わっていない。「神が75柱いるから」、「初めに75人の村人が供えたから」、「75の村々が集まって祀った神だから」など、言い伝えや仮説があるのみだ。

これらの説では広範囲に分布する「七十五膳」の説明は難しい。

「七十五膳」の分布調査は下記のリンク先に詳しい。

西郊民俗談話会

さて、供物の例では"75"だが、もう一つの事例は明らかに"7.5"だ。その名も「七度半の使い」である。

しちどはん【七度半】 の 使(つか)い

神事や祭礼、また花嫁の輿入れなどの際に、たびたび丁重な使いを出して迎えること。また、その使いの者。

-精選版 日本国語大辞典より-

こちらは神事だけでなく、寺院の祭りや嫁入りでも行われたらしい。そして、そのやり方は凡そ共通している。

嫁入りの「七度半の使い」を例に挙げる。婿の家から出された使者は、嫁の家で嫁入り行列の出発を促す。すると嫁の家の者は、何やかにやと理由をつけて使者を帰らせる。これを七度繰り返し、使者が八度目に嫁の家に向かう途中、先に家を出発した嫁入り行列とバッタリ会い、共に婿の家へ向かう、というのが「七度半の使い」だ。

ただ、本当に七度も八度も往復することはなかったようで、「使者は嫁の家の前で七度呼びかけを行い、嫁入り行列は八度目の呼びかけを遮って出発する」など簡略化されていたようだ。

七回にわたる勿体ぶった断りは、子どもの遊び「はないちもんめ」を彷彿させ、嫁入りの一つの見せ場・面白味だったと思われる。

広範囲に分布し、顕著な7.5の習俗についてはこの2点だが、他にも例はある。

神主が祭りで読み上げる祝詞を書いた紙の折り方は、現在「七折半」と決められているようだ。伝統だが由来は不明らしい。

また、青森県南部の民謡「南部俵積み唄」は、戦後に曲がつけられた新民謡だが、歌詞は幕末から明治初め頃に活動した門付芸人の御祝い言葉を元にしたものだという。

その中に、

俵倉には米を積むコラ

七万五千の御俵をば 七十五人の人足で

という一節がある。畳み掛けるような"7.5"だ。

 

ではなぜ、七つ半、7.5なのか。結論から言えば、「分からない」だ。

あくまで現段階での推測だが、8は神の世界の物事を表す聖数である故に、神事などで"人が"使うことは恐れ多いと畏んで、それに少し足りないが最も近い吉数として7.5を使うようになったのではなかろうか。

今後も7.5に関する他の例が見つかり次第、考えていきたい。

趣味ブログはじめます

今日は二十四節気立春。春夏秋冬、旧い一年の始まり。六曜は大安。

この立春大吉、大安吉日という滅多にない大大吉日に趣味のブログを始めました。

記事の内容は日本の文化・民俗・信仰・オカルト、総称すれば日本文化人類学です。好きな民謡の紹介もしたいと思います。

よければご高覧ください。

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