新しんくれちずむ

日本の民俗・オカルト・信仰と現代社会の狭間から。

「7.5」の神性

世界中に吉とされる数字がある。日本の代表的なラッキーナンバーは8だ。

今日、「八の形が"末広がり"で縁起が良いから」と説明されているが、8の特別扱いは古事記の時代から見られる。「八咫烏」や「八咫鏡」、「八尺瓊勾玉」、「八雲」、「八重垣」、「八岐大蛇」、「八千矛神」、「八神殿」など、特に神に関わるものに多い。

また、現在使われる言葉の中にも「八乙女」、「八十続」、「八百屋」、「八千代」、「八百万の神」のように、八を冠して漠然とした数の多さを表すものがある。

8は"無限ではないがとても大きい、神の世界の数"として聖数の信仰を受けていたようだ。

ところが、日本各地の古い信仰儀礼を調べると、8にやや足りない"7.5"という数が散見されることに気がついた。

特に顕著な例が二つある。一つが「七十五膳」だ。

「七十五膳」は主に本州・四国に見られる古い儀礼で、「七十五膳据神事」や「七十五膳献上の儀」等、呼び方や形態は様々だ。共通するのは、"75の食物を神に捧げること"である。

文字通り「75台の御膳」を供する例もあれば、「75種類の食べ物」、「75個の盛り飯」、珍しいものには「75頭の鹿と猪の首」を供える例もある。

更に面白いことに、なぜ"75"に拘るのか、どこにも正確に伝わっていない。「神が75柱いるから」、「初めに75人の村人が供えたから」、「75の村々が集まって祀った神だから」など、言い伝えや仮説があるのみだ。

これらの説では広範囲に分布する「七十五膳」の説明は難しい。

「七十五膳」の分布調査は下記のリンク先に詳しい。

西郊民俗談話会

さて、供物の例では"75"だが、もう一つの事例は明らかに"7.5"だ。その名も「七度半の使い」である。

しちどはん【七度半】 の 使(つか)い

神事や祭礼、また花嫁の輿入れなどの際に、たびたび丁重な使いを出して迎えること。また、その使いの者。

-精選版 日本国語大辞典より-

こちらは神事だけでなく、寺院の祭りや嫁入りでも行われたらしい。そして、そのやり方は凡そ共通している。

嫁入りの「七度半の使い」を例に挙げる。婿の家から出された使者は、嫁の家で嫁入り行列の出発を促す。すると嫁の家の者は、何やかにやと理由をつけて使者を帰らせる。これを七度繰り返し、使者が八度目に嫁の家に向かう途中、先に家を出発した嫁入り行列とバッタリ会い、共に婿の家へ向かう、というのが「七度半の使い」だ。

ただ、本当に七度も八度も往復することはなかったようで、「使者は嫁の家の前で七度呼びかけを行い、嫁入り行列は八度目の呼びかけを遮って出発する」など簡略化されていたようだ。

七回にわたる勿体ぶった断りは、子どもの遊び「はないちもんめ」を彷彿させ、嫁入りの一つの見せ場・面白味だったと思われる。

広範囲に分布し、顕著な7.5の習俗についてはこの2点だが、他にも例はある。

神主が祭りで読み上げる祝詞を書いた紙の折り方は、現在「七折半」と決められているようだ。伝統だが由来は不明らしい。

また、青森県南部の民謡「南部俵積み唄」は、戦後に曲がつけられた新民謡だが、歌詞は幕末から明治初め頃に活動した門付芸人の御祝い言葉を元にしたものだという。

その中に、

俵倉には米を積むコラ

七万五千の御俵をば 七十五人の人足で

という一節がある。畳み掛けるような"7.5"だ。

 

ではなぜ、七つ半、7.5なのか。結論から言えば、「分からない」だ。

あくまで現段階での推測だが、8は神の世界の物事を表す聖数である故に、神事などで"人が"使うことは恐れ多いと畏んで、それに少し足りないが最も近い吉数として7.5を使うようになったのではなかろうか。

今後も7.5に関する他の例が見つかり次第、考えていきたい。